疾風怒濤 第弐拾話
ファロス島の大灯台。
その光は船乗りたちにとって命の光そのものである。
夜の闇でこの光がどれほど心の支えになっていることだろうか。
アルゴー船はギリシャへ向かうが、地中海を正面から抜けるルートは取らなかった。
海賊や海の魔物に襲われる可能性が高くなるからだ。
ゆえに地中海沿岸を通り、遠回りでも安全なルートを通ることにしたのだ。
アルゴー船の乗組員としても沿岸輸送をしながらの方が商売になるし、万が一の事故のとき陸地に下りて医者を探すこともできる。
そんなことにはなって欲しくなかった。
だが、その万が一の事態が起きてしまった。
―――数時間前。
「ふぅんっ…!!!」
ヴォルフの握る剣が明滅しながら光り輝く。
青白い鬼火が長剣に宿るが如く。
鍛冶屋が製鉄を鍛え灼熱の赤を放つのと対極にあるような妖しい光。
刀身から漏れた青白いオーロラはイリュージョンのように夜の闇を照らす。
「……ダメだ。それでは力みすぎだ」
ソフィアは不満げに口をもらした。
パリンッ!
とガラスが砕け散るような音を立てて青龍が飛沫の如く四方に悲惨した。
魔力のほとばしりは弾け終わった花火のように霞んで消えていく。
「…また失敗した。シャイセッ。なんで上手くいかねぇんだ!?」
歯軋りしながら憤る。
「何度も言っているだろう。自分の中に魔力(ルーン)を感じるんだ」
「その概念がよくわからん・・・」
ヴォルフは折れたグラディウスの欠片をホウキとチリトリで集めてゴミ箱に捨てる。
「…才能がないのかなぁ」
「ばか者。逆だ。ただの人間が才能だけで魔力(ルーン)を使い始めているんだぞ。普通は自分の中に魔力(ルーン)を感じるまでに何年もかかる。お前の場合、それを通り越していきなり魔力を使っている。才能だけなら天賦の才と言えるぞ」
「でも俺がやると一発で剣が壊れちまう…」
「…お前はルーンを得体の知れない超能力のようなものだと思っているだろう。それは違うぞ。ルーンはこの世界に満ちている。人間が酸素を吸ってエネルギーを生み出すように、わたしたちはルーンを体内に取り込んで魔力の束にする。ルンは風の属性を持つとも言われる由縁だ。チベット仏教ではプラーナとも呼ばれているが……ま。このあたりの話はいきなり理解しろと言っても無理だろうな」
掃除が終わったヴォルフは疲れたようにしゃがみこむ。
この半年間でヴォルフは自由に魔力の一撃を放つことができるスキルを手に入れた。
彼は自身の電光剣をグラムと名づけた。北欧神話の英雄ジークフリートの使っていた龍殺しの魔剣であり、またバルムンクの別名でもある。
だが、ソフィアのそれのようにグラムを使い続けることはできない。
渦巻く魔力の奔流を制御できず、魔力の暴走が刀身を破壊してしまうのだ。
魔法師は魔力を物理的な力に変えることができる秘術を持つものたちだ。
魔力というのは一箇所に集めることが難しい。
ある一定の量に達すると自動的に発散してしまうからだ。
そこで、たとえば100まで溜めた魔力のうち1を人為的に分散させ、それが次の1の魔力を分散させる連鎖反応を引き起こす。
このとき分散と連鎖によって一時的に恐るべきエネルギー量が発生し、剣の発光現象が発生する。
大抵の魔力は発散してしまうが、そのうち0.1%を物理的な力に変えることができればそれは目に見える形で現れる。
ところがヴォルフの場合、魔力の連鎖反応を起こすことはできるが、その発生したエネルギーを上手く制御することができない。
そのうえ、そもそも連鎖反応を起こすための臨界点に達するために必要な魔力がソフィアの何倍も必要としている。
体力・精神力の消耗を考えると根本的な問題の解決が必要とされる。
それは誰よりもヴォルフ自身がよくわかっていた。
「幻想種を相手にするときは一撃必殺。それで決着がつかなければお前の負けだ」
「だけど、それじゃアキレスに勝てないぜ。何せあいつには普通の攻撃が通用しない」
この世の理を力でねじ伏せるが如き野獣。
銃弾の嵐をもろともしないあの神話の化け物を仕留めるには魔剣グラムの力が必要不可欠なのだ。
「…そういえばあのとき姉さんはアキレスと戦ってましたけど結局どうなったんですか?」
「前にも言っただろう。よくわからんと。お互いに打ち合っているうちに光に包まれてこっちの世界に飛ばされてな。その後は知っての通りだ」
「……あのまま続けていたら勝てましたか?」
「さて、どうかな?」
不敵な笑みを浮かべるソフィアに敗北感は見えない。
強敵ではあるが、決して倒せない敵ではなかったということだろうか。
「そんなに奴に勝ちたいのか?なら次はわたしと二人がかりで奇襲をかけるとしよう。それなら確実に勝てるぞ」
「…俺は正面から戦って勝ちたい」
「お前は戦車に歩兵が正面から挑むのが賢いと思っているのか?それはただの馬鹿だ」
「あいつは戦車じゃないでしょう。同じ人間だ」
「……お前が一番勘違いしているところがそこだな。あいつは人間なんてひ弱な生き物じゃない。幻想種なんだ。だからそんな奴を相手にするのに卑怯もへったくれもない。だいたいだ。わたしたちの旅の目的はリューシアナッサを見つけて元の世界に帰ることで、シーザーやアキレスを倒すことじゃないぞ」
「そりゃそうですけど…」
「ま、悔しいという気持ちは強くなるのに一番必要なものだ。今はそれでいいだろう。さあもう一度だ」
「はい!」
再びヴォルフは訓練に戻る。
「ヴォルフくんも不思議な力を使いこなし始めたか。いやはや、なんとも面妖な光景だ。まるで蛍光灯で打ち合っているかのうようだな。幻想的でもある。実に風流だ」
「ベレンナ。あなたは魔力(ルーン)を知らないのか?」
「知らんよ。わたしは彼らと違って常識人なのでね。超能力にはとんと縁がない」
「だがこの船はあなたのモノなのだろう?これだけの船を雇える財力を持っているとは大した経営者だ。わたしなど結局は会社を潰してしまって残ったのは借金だけだ」
「それはわたしも同じだよ。この船も融通手形で手に入れたものでね。どうやらお互い商才がなかったようだな」
ベレンナとケイリンは商売に失敗したもの同士の奇妙な連帯感があるようで、お互いの失敗した経験を肴に盛り上がっていた。
そこへ苦い顔をしたデイジーが割り込んでくる。
「あなたたち、笑い事ではありませんよ。わたしたち銀行はあなたたちの命までは奪いませんが、法律に従って債権は回収させてもらうつもりです」
「好きにしてくれ。どーせ今頃会社の事務所も倉庫も社員に根こそぎ盗まれて草も残ってないだろうがね」
「わたしもだ。看板選手がいなくなってしまって興行を続けることは無理だし、廃業するならあの建物は不要なものだ。そっちでなんとかしてくれ」
「なんという不良債権」
彼らはさらりと言い捨てた。
デイジーは呆れたようにため息をつく。
この借りた金を返さない不良顧客に悪びれた様子はなかった。
借りた金を返すなどというのはお人よしの考え方である。
貸した金が返ってこないのは貸した方がマヌケだからだ。
返済能力がない者に融資など金をドブに捨てているようなものである。
「…だから言ったでしょうお嬢様。財務諸表を見て彼らの会社は赤字が酷いからさっさと貸し剥がしをしたほうがよいと。返済が無理なのは明らかなのですから…」
「はあ…やっぱりわたしのように情に流されやすい人間に現場の仕事は向かなかったのかしら…」
「その通りです。あなたには向いていません」
「容赦ないわね…ん?あれは?」
デイジーはソフィアたちの異変に気づいた。
先ほどの剣戟や魔力の光は消え、ランプの火が灯したのは胸を抱きかかえるようにしてしゃがみこむソフィアの姿だった。
「はぁはぁ…ぐぅ!!」
「ん?どうしたんだ姉さん」
「む、胸が…」
ソフィアは胸を押さえながら苦悶に喘ぐ。
苦痛には負けない女であったが、この痛みは体の内側から来るものだ。
まるで肥大化した細胞が神経を圧迫するような激痛。
とても耐えられない。
「あ―――ぐ…………!」
彼女の顔は苦痛にゆがんでいる。
「姉さん!!しっかりしろ!姉さん!!」
悲痛な叫びが静寂の海に響いた。
だがその声は届かない。
ソフィアはヴォルフに体を預けてうっすらと目を閉じようとしている。
「おい!姉さん!くっ!おい、運ぶのを手伝ってくれ!」
船室。
そこは臨時の病室となった。
緊迫した空気が辺りを包む。
診察するケイリンの形相が深刻さを物語っていた。
ソフィアは呼吸が浅く、意識は戻っていない。
汗をかきながら身体は痙攣をおこし、口元には泡さえ吹いている。
一体何が起きたのか。
医師ではないヴォルフには状況がわからない。
だが、決してただの過労などではないことは容易に推測できた。
ケイリンの手が止まり、深くため息をつく。
「…どうだ?」
「ヴォルフ。恐れていたことが起きた」
「まさか…」
「ああ、心の臓に住みついた寄生虫が成長期に入った」
「どういうことだヴォルフくん?」
ベレンナが状況説明を求める。
「姉さんは何かの寄生虫に取り付かれていたんだ。どこで身体の中に入ったのかはわからない。この世界に来て一週間くらいして同じようなことが起きた。そのとき診察してくれたのがケイリンだったんだ」
「ソフィアの体内にある寄生虫はヒュドラの子供だ。ヒュドラは猛毒の竜で、魔力の高い人間に取り付いて成長し、やがて胸を食い破る。ヒュドラは魔力の低い人間ならば寄生されることはまずない」
「だがソフィア女史はそうではなかった。」
「そうだ。体内の毒虫を手術で取り除こうとしても、下手に取り除こうとすれば暴れまわって内臓を破壊する」
「ならば麻酔で毒虫を大人しくさせれば?」
「その麻酔薬が手に入らないんだ。ヒュドラを麻痺させつつ、ソフィアの身体を傷つけない。幻想種にのみ通用するという伝説の麻酔薬マンドラゴラ。だが、そんな都合の良い魔法の薬草がどこにあるものか」
「シャイセッ!俺にはどうすることも…どうすることもできない!!」
歯痒さに床を叩きつける。
いっそ代わってあげられればどれほど楽であろうか。
目の前の愛しい人が苦しんでいるのに何もできない無力さは発狂しそうな苦悩だった。
深い絶望が目の前をつつむ。
末期のガンを告白された家族のような気分だ。
「…ヴォルフ。この船はアレキサンドリアに向かっている。アレキサンドリアには世界最大の図書館がある。そこに行けばもしかしたらマンドラゴラ以外にも麻酔薬になるものがあるかもしれない」
「……」
「ただあまり期待はしないで欲しい。祖父ケイロンの書斎にもマンドラゴラ以外の薬草は見つからなかったんだ。だから…」
「頼む。ケイリン。なんとか探してくれ。俺は姉さんに死んで欲しくないんだ…」
「わかった。全力を尽くしてみよう」
―――アレキサンドリア 世界図書館
アレキサンドリア図書館はこの世界において世界一の蔵書数を誇り、学問の中心地である。
世界中の文献を収集することを目的として建設され、とりわけ法律・医学の専門家が集まり、日夜研究が行われている。
図書館の付近には巨大な庭園があり、ローマ・ギリシャ世界以外からの薬草を栽培していた。
アレクサンドリア図書館は、書物の収集のためにさまざまな手段をとり、そのためには万金が費やされていた。
代表的な収集方法として、アレクサンドリアに入港した船の荷物の書物はすべて没収し、写本を作成して原本は図書館に、写本は元の持ち主のもとに戻すという方法がある。
担保金をかけてよその市から貴重な文献を借りた時には、原本を返さずに写本を戻し、違約金を支払い蔵書を充実させた。
「―――というわけで、ここは世界でもっとも本がそろっている図書館だ。かつてアジアを征服したマケドニアの征服王が集めた蔵書がここにある。ここならばひょっとしたら幻想種に効く薬草の記述も見つかるかもしれん。他の研究者たちにも話を聞いてみよう」
「頼む」
ヴォルフは深く頭を下げた。
これほどまでに誰かに頼みごとをしたことはない。
「では我々は宿屋へ戻るとしよう。それに別に行くところがあるからな」
「どこへ行く気だ?」
「ここが闇市場だ」
「ブラック・マーケット?」
「ここでは市場に出回っていない珍しい品物や、法に触れるようなアイテムの売買も行われているそうだ」
「ふーん」
「なんだヴォルフくん。興ざめな反応だな」
「だって俺は別に欲しいものなんか……ある」
「そう。ここは世界中の商人たちの情報が集まる館だ。話を聞くだけでも価値がある。上手くいけばマンドラゴラが手に入るかもしれん」
「おお!」
「ケイリン女史だけにすべてを任せるわけにはいかんだろう。ソフィア女史はヒューバとデイジー女史に任せて我々は我々なりにできることをしよう」
「ダンケ!…ところでその格好は?」
ベレンナは青いフードをかぶり、このままラクダにでも乗れば誰が見てもアラブの行商人であろうという格好をしていた。
「ふむ。ヴォルフくん、今夜のわたしはベレンナではない」
「というと?」
「謎の船乗り、シンドバッドと呼んでくれたまえ」
「自分で謎とか言うなよ。ただでさえ胡散臭いんだから」
「仕方ないのだよ。闇市場は法に触れるものも扱っている。そんなところに我々のような得体の知れない外国人がいきなり入っていっても締め出されるのがオチだ。そこでわたしはいろいろ手を打ってみた」
「ほほぉ。それがその格好と偽造書類の束というわけか。昼間何を書いているかと思えば…」
「ふふ、わたしが聞いたところシンドバッドという人物は名前が知られている割には具体的に姿を見たものはいない、ということで利用するにはもってこいだったのだよ。
君はわたしの会社の社員ということで書類を通しておいた。だがあまり派手なことをするなよ。下手なことをすると身元がばれる。書類の偽造は重罪だ。役人に通報されれば逮捕されてレギオンに引き渡される。心しておくことだ」
ヴォルフはこくりとうなづき建物の中へと入っていった。
――― 闇市場
闇市場というのは多くの場合において非合法な物、時には合法であっても社会通念や人道を理由に指弾されうる物を売買する市場である。
逆に言えば、真っ当な市場では手に入らないような商品も手に入れることができる可能性があるということだ。
「マンドラゴラ?悪いが置いてないよ」
「どこで手に入るか知らないか?」
「すまんなぁ。だがマンドラゴラって言えばどんな幻想種も眠らせることができる超強力な麻酔薬だろ?それがあれば恐竜だって狩れる。俺だって欲しいくらいだよ」
「そうか…」
これで5件目。
薬物・毒物・魔法薬・麻薬の類を扱っている行商人たちに話を聞く。
たしかにマンドラゴラという薬草は存在するらしく、実際に扱ったことがあるという者も何人かいた。
しかしマンドラゴラは栽培ができず、同じ土地で育つことはない。
希少価値が非常に高く、簡単には手に入らないとのことだ。
このまま諦めるしかないのか…
「マンドラゴラが欲しいだって?」
「ああ。どこか取り扱っている店を知らないか?」
「ここにあるよ」
「な、なんだってー!!」
思わずヴォルフは叫んだ。
「う、売ってくれるのか?」
「高いよ」
「い、いくらだッッ!?」
喜びで声が揺らぐ。
商人は右手の手のひらを開く。
五本の指。
「5,000ゴールド?」
商人は首を振る。
「50,000ゴールド?」
商人は首を振り続ける。
「500,000ゴールドか…薬草にしては法外な値段だが銀行から預金を全額下ろしてくればなんとかなる金額だ」
「ハァ?何を言ってるんだ。50,000,000ゴールドだよ」
「ご、五千万ゴールド!?」
「ああそうだ。こいつはどんな凶暴な魔物も眠らせてしまう超強力な睡眠薬に使えるんだ。マンドラゴラから作った睡眠薬で恐竜を狩ることもできる。そう考えれば五千万でも安いくらいだ」
「くっ!なんとかまけてくれないか!五千万ゴールドなんて大金は作れない!だけど、その薬草がないと俺の大切な人が死んでしまうんだ!」
「そう言われてもこっちも商売だからなぁ。…そうだな。あんたピラミッドって知ってるか?」
「ああ。ここから東にある王家の墓だろ。特に巨大なものはギザの大ピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド」
「それとイスカンダルのピラミッドだ」
「なんだと?」
アル・イスカンダル。
マケドニア出身のこの征服王はペルシャ帝国の支配下にあったエジプトからペルシャを一掃してファラオの位についた。
史実においてアレキサンダーがピラミッドを建設したという事実はない。
しかしこの異世界ではアレキサンダーはピラミッドを建設したらしい。
「あそこにはフェニックスの卵が隠されているという言い伝えがある。不死鳥の卵は死せるものに再び命を与えると言われている。マンドラゴラ以上の価値のあるマジックアイテムだ。もしもあんたがピラミッドに隠されている不死鳥の卵を持って来たら交換してやるよ」
「ホントか!」
「ただし期限は明日の正午までだ。午後には俺はパレスチナに行くんでな。それまでに持ってきてくれ。できなればこの話はなしだ」
「やってやるぜ…!待ってろよ」
拳を握った手を見つめる。
その瞳は赤く燃えている。
「…やった。希望が見えてきたぜ。明日の昼までにピラミッドに行ってフェニックスの卵をとってくればいい」
「そうは言うがなぁ」
ベレンナは気が乗らないらしい。
「なんだよ。嫌なら来なくていいぞ。俺一人で行く」
「君一人で行かせたら迷子になるだろうからわたしも行くよ。それは構わないのだ。わたしが気にしているのはピラミッドの番犬だ」
「番犬?」
「イスカンダルはピラミッドを建設した。その目的は墓ではなく、各地から集めた宝物庫だと言われている。太陽神ラーにアジアの宝を捧げたのだと言う。そこを守っているのはスフィンクスだ。普段はただの石像だが、不埒な心を持つ者には容赦なく襲い掛かるそうだ」
「石像が?」
「イスカンダルのピラミッドには宝の山があると言われているが、そこから生きて帰ってきたものはいないそうだ。怖いねぇ」
「なるほど幻想種か。だがどんな相手だろうと俺のグラムに斬れぬものはない」
師匠からまだまだ未熟と言われている一発限りの使い捨て兵器が果たしてどこまで頼りになるであろうか。
「…まあヴォルフくんの決意は固いようだし止めはせんよ。しかしせっかく来たんだ。もう少し見て行かないか?」
「勝手にしろ。時間がないんだ。俺は帰るぞ。もう用はない」
「そういうな。ひょっとしたら他にもマンドラゴラを売ってる商人がいるかもしれんよ。一周するならそれほど時間もかからん。何より付き合いというものは大切なことだ」
「わーったよ」
「……やはりさっきの商人くらいしかマンドラゴラを扱っている奴はいなかったな」
「ふむ」
ヴォルフは人だかりにふと目を向けた。
裸体の若い女性が売られている。
「人身売買…」
「当然だ。闇市場だからな。特にここで売られているのは正規の商品登録をしなかった者たちだそうだ」
「人は売り物じゃないぜ」
ヴォルフは吐き捨てるように言った。
「かっかするなヴォルフ君。ここはそーいう世界、そーいう国なんだよ」
ベレンナはこのような光景を見てもなんとも思わないようだ。
それは制度として当たり前なのだからとはっきり割り切れるほどヴォルフは理知的な男ではなかった。
「……くっ」
目を引いたのは東洋人の少女だった。
少年のように引き締まった身体にわずかな金細工を身につけ、黒い髪は長くストレートで見るものの心を掴む。
他の商品たちが恥じらいも持たずただすべてを当たり前に受け止めているのに対し、この少女はまだ自身のおかれた状況への羞恥心が抜け切れていないようだ。
「…な…」
ヴォルフの顔色が変わる。
そして少女もまたヴォルフの顔を見て驚きを隠せない。
「なんでお前がここに?」
「なんであなたがここに?」
二人の声がはもった。
「なんだ知り合いか」
「…まあね」
「おっとお客さん。それ以上の会話はNGだよ。こいつは商品だからね」
「商品ならば客が目定めても問題あるまい」
「だめだめ。これ以上話すなら買ってくれよ」
「ちっ…」
完全に足元を見られている。
もしもただの他人ならば己の商品をアピールするために会話を薦めるはずである。
知人というのは最高の宣伝になる。
こうやって知人に引き取らせるのがもっとも効率的な商売方法だからだ。
「わかった。いくらだ?」
商人は手のひらを広げる。
「ちっ!奴隷商人がっ……!」
ヴォルフは窓口に行って銀行から金を下ろしてきた。
ゴールドマン銀行の窓口がなぜこんな闇市場になるのか。
答えは簡単だ。この裏社会のビジネスの元締めがゴールドマン銀行だからである。
となれば、警察もここには入ってこないだろう。
政治、という奴だ。
「ほら。これでいいだろ」
ドサッと金貨を包んだ袋を差し出す。
「毎度ありがとうございます。ではこちらの書類にサインを。奴隷の不法所持は犯罪となります。すみやかに法務局に行って登記を行ってください。登記してない奴隷は被害届けが出せず、損害保険も適用できませんのであしからず」
あくまで事務的に語る商人の横面を思い切り殴りつけたい衝動を無理やり抑えて書類にサインをする。
「その格好じゃ外を歩けないだろう。これを着るといい」
ヴォルフが書類を書いている間にベレンナは適当な服を調達してきた。
ムラサキは言われるままに服を着た。
「おお。なかなか似合っているな。わたしのセンスも捨てたものではない」
「ムラサキ。これはお前の荷物だそうだ」
荷物と言っても片手で持てる程度の軽い風呂敷だった。
中に何が入っているか知らないが、これが彼女の全財産である。
「ありがとうございます…」
ムラサキは荷物を受け取ると風呂敷を開いて色あせた写真を手に取る。
そこにはムラサキと彼女の家族が写っていた。
無言のまま涙を浮かべる。
だが涙は見せない。
ムラサキは強い女性だった。
「さあ行きましょう」
そのまま3人は外へ出て行った。
「3年ぶりかな?日本で近道を教えてもらったときは世話になったよ」
「……近道ではなく完全に迷子だったでしょうあなたは…どうすれば京都に行こうとして神戸に行ってしまうのですか?」
「いや、日本の風景はどこも同じに見えて…」
「君という男は昔から方向音痴なのか」
「ということは今でも?」
「うむ。彼は砂漠で迷子になっていたところをある女性に拾われたのだ」
「だからあれは迷子じゃねぇって言ってるんだろ…」
ムラサキがくすくすと笑う。
「さて、君らが知り合いだということはわかった。ムラサキくん。君も元の世界の人間。それも日本人とは」
「あなたも元の世界の人なのですね」
「ああ、我々はリビアの砂漠にいたんだ」
「やっぱり…」
「やっぱり?」
「わたしもリビアにいました。ヘラクレアという町に」
「ヘラクレア??」
「知っているのですか?」
「知っているも何も俺たちもそこにいたんだよ」
「ああ。そういえばあの日、ドイツ軍が来ましたね。戦車が街中を走ってました」
「…それ姉さんだ」
そしてキメラを倒すために街中を走り回っていたのはヴォルフ本人だった。
「ムラサキ。どうして君はアフリカの砂漠にいたんだ?」
もっとも単純な疑問をぶつけてみる。
「わたしは戦前からイタリアに住んでいました。イタリアは日本の同盟国ですから。でもある日、ナポリの港で人さらいにあって、トリポリの港でなんとか逃げ出したんですが…帰ろうにも帰る手段もなく、気がついたらヘラクレアにいました」
簡単に言うが、本当ならば波乱万丈の人生である。
「なんともバイタリティのあるお嬢さんだ。異国の砂漠でよく生きていた」
「ああ。それだけ生命力がありゃどこだって生きていけるな」
「…」
「どうした?」
「友達がいたんです。彼女もわたしと一緒に向こうの世界からこっちへ一緒に飛ばされました。先週まで一緒にいたのですが…彼女は他の人買いに買われてしまいました」
「そうか…だけどき希望は捨てちゃダメだ。俺も姉さんも似たような状況だったけど、今でもこうして生きてる。生きていればきっと会える」
「…はい」
「ムラサキくん。落ち込んでいる場合ではないぞ。行動するのが優先だ」
「と言ってもどこへ行ったのか手がかりすら…」
「手がかりならある。この闇市場で買われたならば書類に記録が残っているはずだ。それを調べれば買った相手と住所もわかるぞ。さっきヴォルフくんが書いたアレだ」
「そ、そうか!」
人を不動産のように扱う奴隷市場のシステムに腹を立てたものの、今となっては感謝しなければならない。
「さっそく調べてみるか」
Uターンして先ほどの市場へ行ってみるが、事はそう上手く話は進まなかった。
「ああ!?なんで教えてくれないんだよ!」
机を叩きつけ、周囲の視線を省みずに怒鳴り散らす。
だがここではそのような怒声は珍しいことではなく、誰も彼もが無関心だった。
ここで奴隷を買った人間のことについて問い合わせをした瞬間に職員は話し合いを拒絶した。
「個人情報は明かせません。お客様のプライバシーに関わることですから」
「ふざけるな!何がプライバシーだ!人間を売り買いしてる連中のくせに!」
「わたしどもは帝国の法に従っているまでです。帝国領内では市民権を持たないものは売買の対象となります。この市場は合法的に運営されているのです」
ヴォルフは激怒した。
自らも奴隷の身分だったことがあるがゆえに帝国という体制に対する怒りが燃え盛る。
「奴隷制度は帝国の国是ですよ。企業は安い労働力を求めている。必要なときに必要な奴隷。いらなくなったら市場で売買すれば再利用も可能。企業を通して社会に奉仕するのがわたくしどもの使命と心得ております」
「この人でなしがっ……!!」
「あなたのような方がたまに来るのですよね。困ったものです。おいガードマン。この方たちを外へ締め出しなさい」
「まあまあ」
ベレンナが間に割ってはいる。
ヴォルフには席を外せとジェスチャーをした。
彼がいると話がまとまらないからだ。
耳打ちしてしばし席を外してもらう。
「すまないな。連れは最近、教団の教えにはまってしまっていてね」
「ほぉ。帝国領内で問題になってる新興宗教ですね、わかります」
「そうなのだ。頭のおかしい奴だと思われるから人前でそのことを言うのは辞めろと言っているのだが。話を元に戻すよ。連れの無礼は詫びる。だが我々としてはどうしても知りたいことなのだ。そこでどうだろう?誰が買ったかは明かせなくても、どこの国の人間かくらいは教えてくれないだろうか」
ベレンナは事務員の手を両手で握る。
その手には何か硬い石のようなものが当たる感触があった。
「…わかりました。そうですね。それくらいなら教えても差し支えないでしょう。ところでその奴隷の名前は?」
ベレンナは柔らかい微笑を浮かべながらも答えを聞くまで手を離したりしない。
「クララです。買われたのはちょうど一週間前の夜。今くらいの時間でした」
「クララ、ですね。おお、ありました。その奴隷の買主がいるのはカイサリアです」
ムラサキは友人の名前を言った。
クララという名前の奴隷はここ数週間では一人しか該当者がないらしい。
「ありがとう」
「いいえ。顧客の希望に答えるのがわたしたちの仕事ですから」
ベレンナは軽く会釈してその場を去る。
「終わったのかよ」
「そんなにカッカするなヴォルフ君。経済というものはいつの時代でも奴隷によって成り立っているものだ。我々の元の世界でも似たようなものだったろう?」
「何を悟ったようなことを…」
「それよりムラサキ嬢の友人の買主がいる場所がわかったぞ。カイサリアだ」
「…カイサリアってどこだ?」
「属州シリア・パレスチナの州都だ。海沿いに沿って進むならギリシャへの通り道だな」
「ヴォルフ!お願いがあります」
「ああ、わかってるよ。途中で君の友達を探そう。だが今は先にやることがあるんだ」
「ええ…その後で。お願いします」
「話はまとまったな。とりあえず宿に戻ろう。ソフィア女史の容態も気になる」
―― 宿屋
「おかえりー」
「ああ。ただいま」
ヒューバが眠たい眼をこすりながら言った。
「まったくあなたという人は…無責任にもほどがありますよ!!」
その横でデイジーが怒っていた。
当然といえば当然だ。まだ知り合って数日の人間に子供と病人の世話を押し付けたのだから。
「だから言っただろう。マンドラゴラを探しに行って来たんだよ。それに陸に上がったんだから俺たちと一緒にいる必要はないだろ?なんで自分の家に帰らないんだ?」
「わたしだって帰りたいわ!だけどベレンナとケイリンのサインとハンコを貰わないと書類の手続ができないのよ」
「だったらサインとハンコだけ貰えばいいじゃねぇか」
「…それが書類が上がってこないのよ。「ジム・バーネット商会」と「ケイリン・チャンピオンズクラブ」の所有財産の差し押さえもできないんじゃ帰るわけにもいかないわ。ここで離れたら二度と会えないだろうし。破産するならするでちゃんと手続取らないといけないのよ」
「やれやれ…銀行屋も大変だな」
「まったくよ。本来ならこれはわたしの仕事じゃないんだから…ところでヴォルフ・シュナイダー。そこの女の子は誰かしら?」
デイジーは後ろの少女に目を向ける。
「ああ、彼女は闇市場(ブラックマーケット)で」
「ヴォルフくんが買った奴隷少女だ」
「お、おいベレンナ!!そんな言い方は誤解を…!」
「ヴォルフ…まさかあなたがそんなことをする人だったなんて…」
「これがソフィアに聞かれたら大事ね」
「そ、そうだ!姉さんは!?」
ヒューバの言葉でヴォルフは大変なことに気がついた。
ベッドの上で横になっていなければならないその人物がいない。
布団の具合からつい先ほどまでそこで寝ていたことに違いない。
「…わたしが気を失っている間になかなか楽しい夜を過ごしてきたようだな」
「ね、姉さん!気がついたのか」
喜ぶヴォルフにすさまじい殺気叩きつける。
その形相、冷たい視線は心を貫く槍のようであった。
「…可愛い子じゃないか。ふん。わたしが一生気を失ったままのほうがよかったんじゃないか?」
「何を馬鹿なことを言ってるんだよ!それより姉さんの病気を治す薬草が見つかったんだ!!」
「ふーん」
どうやらソフィアの怒りは収まらなかったようだ。
「それでこの娘をいくらで買ったんだ?」
「50万ゴールド。ヴォルフくんが即金で買った」
「ベレンナっ!お前は!時と場所を考えて言えよ!!」
「こ、このたわけが…!我が家の全財産じゃないか…!!預金を全部使い果たしおって…!これからどうやって生活していけば…うう、めまいが…」
「ソフィア。無理をしないで!」
その場に膝を落とすソフィアをヒューバが支えてベットまで誘導する。
「ヴォルフのせいよ。女の子を買ってくるなんてどういう神経してるのよ!最低っ!」
「俺のせいかよ!?」
四方八方から攻められるヴォルフ。
だが彼はこのようなときに上手い言い訳ができるような器用な男ではなかった。
「…とにかく。マンドラゴラそのものは見つかったんだ。闇市場の商人がある条件と引き換えに譲ってくれると約束してくれた」
「その条件って?」
「征服王のピラミッドに行ってフェニックスの卵を持ってくること。それと交換してくれるそうだ。あるいは5,000万ゴールドを払うかだ」
「5,000万なんて大金…用意できるの?」
「できるわけねぇだろ」
あっけらかんに言うヴォルフ。
「言っておくがヴォルフくん。銀行にだけは金を借りるな。あいつらは人でなしの守銭奴だ。せめて生命保険会社にしておけ」
「…俺は最初から金を借りるつもりなんかねぇよ…」
デイジーのいる前でベレンナがそんなことを言った。
どこまでも銀行が嫌いらしいが、生保の金利は一般的に銀行より高いのだからベレンナのアドバイスはあまり役に立たない。
「俺はさっそくピラミッドへ行く。すまないがデイジーはヒューバとここに残って姉さんの看病をしててくれ」
「…仕方ないわね。わかったわよ」
「ありがとう。必ず助けるからな。待ってろよ。姉さん…!」
ヴォルフは廊下に出てドアを閉めようとした。
「君一人では不安だ。わたしも着いていこう」
「ベレンナ!」
「それにピラミッドには征服王の集めた財宝があると聞く。特にピラミッドの宝の中でも「黄金の爪」と呼ばれる魔剣はとても値がつけられないほどの高価な宝剣だそうだ。柄にエジプトの隼の神ホルスが刻まれている。これを王侯貴族に売って会社の運営資金にしようと思うのだ」
「…お前、会社潰したばっかでまた作る気かよ」
「当然だ。わたしは人に使われるのに向いていない。どこかに勤めるなど耐えられることではないのだ」
「社長ってのはそーいうタイプの人間じゃないと勤まらんのか…?」
「ベレンナ!あなたは破産申請するつもりでは!?」
「破産はするさ。あの会社は潰す。それで銀行の借金もチャラだ。そしてまた新しい会社を作る。ただそれだけの話だ」
銀行に借りた金を返す気ゼロの発言であった。
「わたしにはプランがある。銀行相手の商売だ。今まで銀行が保証協会に依頼していた保証事業を保険業務として行うのだ。規模が大きくなれば保険料は下がり、保証料を払うより得だから必ず成功するだろう。銀行はリスクを恐れず企業に融資を行い、市場経済はうなぎ登り…」
「…それはパレスチナのソロモン保険会社がやっています。一攫千金なんて狙わずマジメに働きなさい」
デイジーの言葉に黙り込むベレンナ。
せっかくのアイデアだが、この社長のアイデアでは銀行は納得できないようだ。
「わたしも行きます」
「ムラサキ。ピラミッドには魔物がうじゃうじゃいるという噂だぞ」
「わたしはあなたに買われた身。それなりの仕事をしなければなりません」
「別にそんなのは気にしなくてもいい。女の子は危険なことはしなくていい」
「わたしとて武道の心得があります。今までも自分の身は今まで自分で守ってきた。足手まといにはなりません」
「そーいう問題じゃなくてだな…」
「いいではないかヴォルフくん。手伝いたいというなら手伝ってもらうべきだろう。むさい男の二人旅と、オリエンタリズムの美少女との旅とどっちがいいかは聞くまでもない正直、君と二人っきりなど考えただけでも嫌になる」
「だったら最初から行くなんて言うなよ…」
「ヴォルフ。何かを探すのならば人手は多い方がいい。どうか手伝わせてください」
「…わかった。二人ともありがとう」
――― ピラミッド
古代のエジプトの人々は、ピラミッドのことを「メル」「ムル」と呼んでいた。
「昇る」という意味である。
古代エジプト人は、太陽信仰があったことから、「太陽へ昇る階段」としてピラミッドを崇めた。
「ピラミッド」と言う名前は、ギリシャ人が付けた名前で、ピラミス(ギリシャ人が食べていた三角形のパン)がその由来と言われてる。
ヴォルフたちはピラミッドへ到着した。
ピラミッドはアレキサンドリアの街の中心のすぐ傍にある。
かの征服王はアレキサンドリアを世界の中心として都市計画を立て、ここに世界の宝物庫を建設した。
多くの建設労働者や商人たちが集まり、ここは世界屈指の経済成長都市となった。
そして彼らが建設したピラミッドには征服王が各国から略奪した神器、武器、奉納物が収められていたため、多くの盗賊や墓荒らしや冒険家が宝を求め、そして返らぬ人となった。
昼間は多くの観光客でいざなうこのピラミッドだが、深夜に近づくものはいない。
ピラミッドの内部は侵入者を殺すための魔物がおり、夜はその魔物がピラミッドの外へ出るという。
「…という話だそうだ」
ベレンナが旅人向けのガイドから聞いた話を語る。
振るような星空。
昼間は死を誘う暑さも、夜の青みがかった象牙色の砂丘には嘘のように消えてしまった。
なぜ砂漠がこんなに懐かしく感じるのか。
そう言えば、あの褐色の少女に拾われ…いや、出会ったのはこんな夜の砂漠だった。
彼女は一体どこにいるのか。
あの日、彼女に出会ったあの日から自分の周りはそれまでの現実の世界からおとぎ話の世界へ移り変わった気がする…。
「魔物ねぇ…しかし、そんなものはいないようだが?」
「油断してはなりません。さっきから感じるこの妖気……ここはたしかに魑魅魍魎の棲家です」
ムラサキの手には警棒が握られている。
彼女の実家は剣術道場で、ムラサキ本人の剣の腕前もかなりのものだ。
問題は幻想種相手に通常兵器が役に立たないことであるがいまさらそんなことを言っても仕方ない。
「霧が出てきたな…」
「雨季だからな」
「ただの霧じゃないぞ!前がまったく見えないほど濃い霧だ!これは自然の霧じゃない!!」
ヴォルフは慌てて周りを見渡す。
さきほどまで晴天だった砂漠に突如として霧が立ち込める。
ただの自然現象ではない。
「―――汝らは何者か?」
あわせたようにどこからか声がする。
ヴォルフはただちに剣を構える。
「出たな…!」
「出たって?何がですか!」
木刀を構えながらムラサキが怒鳴る。
「王家の宝物庫の番人だよ。おい!どこだ!姿を見せろ!!」
「―――よく見るがいい。お前の前にいるぞ」
はっ、と前を見る。
巨大なライオンの胴体。
その首には人間の女性の顔があった。
「剣を納めよ。我が質問に答えるのだ人間」
「こいつが王家の宝物庫の番人。―――スフィンクスッ!!」
スフィンクスはギリシャ神話の中では「頭が人間でライオンの胴と翼をもつ怪物で通り行く者に謎をかけ、答えられないものは殺す」という神話をもつ生物。
だがヴォルフが聞いた話によれば、かつて何人もの冒険者がこのスフィンクスに食い殺され、命かながら逃げのびたものの弁によれば問いに答えても容赦なく襲い掛かってきたという。
すなわち、この番人を倒さない限り、この先には進めないのだ。
「そこを通してもらおうか」
「剣を納めよ。我が質問に答えよ」
「ヴォルフくん。話だけでも聞いてみるべきではないか」
「…わかった。スフィンクス。質問とは何だ?」
「まずはここに来た目的を聞こうか」
「大切な人のためにお前が守っているというフェニックスの卵をいただきに来た」
「くっくっく…正直だな。泥棒が自分の獲物を堂々と語るとは」
「悪いとは思ってる。だがこっちも後がないんだ。力づくでも取らせて貰う!」
「だからどうして君はそう喧嘩っぱやいんだ!!」
「はなせベレンナ!!」
「落ち着け。ヴォルフくん。さっきからおかしいぞ。ソフィア女史が大切なのはわかるが、剣では解決できないこともあるのだ」
「…ちっ」
ヴォルフは舌打ちして暴れるのをやめた。
ベレンナも手を離す。
「人間よ。そなたらはアメン・ラーを信じる者か?」
「アメン・ラー?エジプトの太陽神だな。だがこの世界ではオリンポスの神々に滅ぼされた神だと聞いてるぞ」
「答えよ。信じる者なのか?」
「いいや。信じてないぜ。悪いが俺はクリスチャンなんでな。もっとも教会に行くなんてほとんどないけどな」
「クリスチャン?それはどこの神か?」
「神の名前じゃねぇよ」
「ではそなたの神の名は?」
「神は神だろ」
「会話になってないですね…」
はたから見てると実にマヌケな会話であった。
「そもそもこの世界ではキリストがいないからな。クリスチャンが何かと言っても話しが通じるわけがない」
「この世界?それはどういう意味だ」
スフィンクスがベレンナに視線を向ける。
ベレンナは驚いて動けない。
「俺たちはこの世界の人間じゃねぇんだよ。別の世界から来たんだ」
「ほほぉ」
代わりに答えたヴォルフの言葉にスフィンクスの反応が変わった。
「面白い話だな人間よ。我がここの番についてから幾多の人間を相手にしてきたが、そなたの方なホラ吹きは初めてじゃ」
「ホラなんて吹いてねぇよ!」
「…普通は信じられませんからね」
「話してみよ」
「話してどうなるってんだ?」
「そうだな。気が向いたらここを通してやっても良い」
「嘘だッッッ!!!」
ヴォルフが怒鳴った。
今の彼には冗談は通用しない。
「嘘ではないぞ。かつて我が主人イスカンダルによってこの宝物庫の番を仰せつかったが、かの征服王はいずこへと姿を消した。あれから300余年、もはやこの世におらんだろう。王国はローマに征服され滅びた。もはや我がここを守る意味もない」
「イスカンダル……。イフリートもその征服王の僕だったそうだが、たしかに凄い王だったようだな」
「イフリート?それは砂漠の魔人、炎の精霊イフリートのことか?」
「ああ。そうだ。ジンニスタンとかいう砂漠の精霊の城に住んでてな。そうだ、これがそのランプだ」
ヴォルフは荷物の中からすんなりと魔人のランプを取り出して見せた。
「何かあったらこいつで呼び出せとか言ったくせに全然言うこと聞かないぜ。シャイセ。アラビアンナイトのランプの精霊は主人が呼び出したらすぐに出てくるってのによ」
「…どれ。貸してみよ人間」
「ヴォルフだ。スフィンクス。俺の名はヴォルフ」
「わたしの名はクレオ。ヴォルフよ、お前が人間であるようにわたしもスフィンクスという種族なのだ。名前がある。クレオと呼んでくれ」
「クレオ。ランプが見たいんだってな」
「ああ。わたしの足元に置くがよい」
「なんか偉そうだな…」
「ふふ、ぶすっとするな。お前はわかりやすいな。それにわたしをまったく恐れてない」
「この世で一番おっかない女が身近にいるからな」
クレオはムラサキの方をチラリと見た。
ムラサキは驚いて息を止めている。
「違う。あの子じゃない。俺の嫁さんだ」
ただし書類上の話である。
「はっはっは!面白いなお前は!それだけ怯えている女房のために命を張るというのか。愛の力というやつだな」
「…簡単に言うな。口にすると安っぽくなるものもあるんだよ」
クレオは笑いをこらえている。
その仕草はとても怪物とは思えないほど可愛いものだった。
「なるほど…異世界の住人か」
しばらくしてクレオが口を開いた。
すべてを悟ったように納得した声を上げる。
「何かわかったのか?」
「お前はこのランプの使い道を間違えている。このランプは通信機ではないぞ」
「…何?」
「説明してやってもいいがどうせ理解できまい。ただ言えることはこのランプを決しては売ったり、捨てたりしてはならぬということだ。ヴォルフよ。近いうちにその意味が解るだろう。それまで捨てることはしないようにしておくがいい」
「わかった」
もとより捨てる気などない。
『魂の連帯保証人』などというわけのわからない者に半ば騙されてなってしまったヴォルフとしては、イフリートから渡されたこのランプを捨てる気にはなれない。
「…ヴォルフは恐ろしくないのですか?あのような怪物と普通に会話してる」
「彼は大物だよ。わたしもヴォルフくんと一緒に何度か怪物と対峙したが、正直体が凍り付いて動けないのだ。いつあの巨大な口で食い殺されるかと思うと。まるでライオンの檻に入れられた気分だよ」
「わ、私もです」
普通の人間の反応をする二人を尻目にヴォルフは人頭の怪物と自然な会話をしていた。
「それにしてもヴォルフくんは人ならざるものに好かれるようだな。彼に好意を持つ女性はみな人間以外の者だった」
「なんと面妖な…妖怪変化に好かれるなんて…」
「こらこら、そこの二人。変な噂を立てるんじゃない」
こっちへ来いと手巻きするが、二人はがんとしてその場から近寄らない。
「クレオ。あんたはピラミッドの守護神なんだろ。だったらフェニックスの卵がどこにあるか知らないか?」
「知っている。お前がイスカンダルの名を持つ者の従者であるならば案内しよう」
「従者ってわけじゃないんだが…しかしその巨体じゃあの中には入れないだろ」
「心配するな」
クレオは深呼吸すると見る見る小さくなっていき、あの巨大なスフィンクスは普通の女性に変身した。
「どうした?わたしが人間だった頃の姿も捨てたものではあるまい」
くるりと回って笑うクレオは若い人間の娘そのものであった。
「人間だった?あんたは最初からスフィンクスじゃないのか?」
「…どうやらヴォルフはスフィンクスがどうやって生まれるのか知らないようだな。まあ良い。お前には関係のないことだ」
「もっていぶってないで教えろよ」
「もったいぶるのは知っている者の特権だ」
「やれやれ…そうかよ。もういいよ。聞かないよ」
「怒ったか?ふふ、本当に可愛い男の子だな」
クレオは先等に立つと入り口まで案内した。
「ここが入り口だ」
クレオが案内したのはスフィンクスが守っていたすぐ後ろの位置である。
まさに門番。スフィンクスの目を誤魔化してこのピラミッドへ入ることは不可能であろう。
「入り口って・・・石の壁じゃないか」
「たしかに見た目はそうだ。だが・・・」
クレオは壁に向かって突進する。
すると壁を通り抜けてクレオが中に入っていった。
「この壁は光を屈折させて人間の目には周りの壁と同じように見える細工がしてある」
「…なんと。これは大した発明だな。だがこのからくりに気づいたものがいたら中に入れてしまうぞ」
「そのためにわたしが見張りをしている。征服王が亡くなってからわたしが中に通したものは一人もおらぬ」
「…じゃあこの足跡は?新しいもののようだが…」
「…」
クレオの表情が厳しくなる。
この足跡には覚えがない。
中へ入っていったことはわかるが、通した記憶はない。
「わたしの目を盗んで入ったものがいるようだな。しかもまだ中にいる」
「どうやって入ったんだ?ここに入るのにあんたに見つからない方法なんてあるわけないだろう」
「わからぬ。しかし愚かなことだ。中の構造を知らずに入っても目的のものは見つかるまい」
クレオは入り口から進んだところにある壁のレンガブロックを押した。
見た目はただの壁にしかみえないが、ある一ヶ所のレンガ部はスイッチになっているようだ。
「…」
「どうした?」
「手ごたえがない。本当ならばガコンと音がするはずなのだ」
「どういうことだ?」
「この壁は回転扉になっている。本来ならばロックされているのだが…」
クレオは壁を押した。
ゴリゴリと石の壁が音を立てて回転する。
かなりスムーズに動く。
一度動かさせて詰まってた砂が取れているからだ。
「…先に入った奴はかなり頭がいいようだな。こんな仕掛けに気づくなんて…」
「ヴォルフ。せっかくだ。ランプに火をつけてみろ」
「そんなことして大丈夫なのかな…」
「ランプに火を灯さずに何の意味があるんだ。いいからやってみろ」
「これは…」
目の前が明るくなった。
まるで昼間のように。
一体、光源はどこにあるのか。
ヴォルフたちの歩く先がかなり遠くまで明るく見える。
「『魔人のランプ』は昼間のように明るく見えるようになる。それがあれば松明などいらないだろう。お前には火の精霊の加護がある」
「意外と便利なアイテムだったんだな」
「もちろん利子はつくが…」
「今なんと言った???」
「いや別に」
「別にじゃないだろ!?」
「そんなに怒るな。そんなだから からかいたくなのだ」
冗談だ、とくすくす笑う。
「……もう嫌だ。どうして俺の周りにはこんな女しかいないんだ…」
しばらく歩くとやや広い部屋についた。
どうやらここが通路の到着地のようだ。
べき、ばき。と足元で小枝が折れるような音がする。
「こ、この骨は!!?」
「食事の跡だ」
「食事?」
「征服王は眠りについたとはいえ食事が必要だ。そこで定期的に死刑を宣告された極悪人をこの部屋に閉じ込めることになっている。王に精気を取られた絞りカスが足元に転がっているのだ」
「…悪趣味な食事だ」
部屋の中央には前には石棺がある。
「これはイスカンダルの棺桶だ。征服王がインドに攻め入ったときヒンズゥーの邪神カーリーと戦ったとき呪いをかけられた。熱病にうなされ、内臓が腐る不治の病だ。だが決して死ねない。永遠の命を求めた征服王はたしかに永遠の命を手に入れた。それは永遠に苦しみと同じ意味だ」
「…欲が身を滅ぼしたってわけか」
「…。滅びてなどいない。征服王は眠っているだけだ。永遠の命と苦痛から逃れるため覚めない眠りについたのだ。わたしはその眠りをこの世が終わるまで見届ける役目を自引き受けた」
「あんた…この男が好きだったんだな」
「……。フェニックスの卵は死者に再び命を与えるという。だが、死を望むものの願いはかなえてはくれない。征服王が望むものそれは、永遠の安らぎ…」
そこまで言ってクレオは言葉を封じた。
本来ならば人に話す話でもないのだろう。
「ところで、そのフェニックスの卵はどこにあるのだ?ここには石棺しかないのか?」
ベレンナの言う通り、この10坪ほどの広さの部屋は白骨と砂と石棺しかない。
「どこだったか…たしかこの部屋のどこかに地下へ下りる階段のフタを開けるスイッチがあるはずだ。それを引張れば・・・うーん。どこにあったのか思い出せない…砂に埋もれているようだな。手分けして探そう」
「この広い部屋をか・・・なかなか時間がかかるな」
4人は手分けしてたまった砂と骨をかぎ分けて床を調べる。
ベレンナとムラサキは泣きそうな顔で作業していた。
何が悲しくて白骨遺体を掻き分けなければ成らないのか。
唯一の救いはすでにミイラと化して人の遺体を触っていると感じずに済むことくらいだ。
何とか床が見えてきた。
だがただのレンガブロックしか見えない。
ヴォルフは当たり前の疑問を口にした。
「……ここまでは一本道だったろ。階段が隠されてるんだったら、先に入った連中はどうやって先に進んだんだ?」
「…やった。とうとう見つけたわ」
ピラミッドの奥。
ヴォルフたちの目的地の宝物庫にはすでに先客がいた。
筋骨たくましい大男と若い女である。
女は革のローブに革のハット、そして革のバック。
茶色で身を固め、金色の髪を一本に縛っている。
立派な台座にはダチョウの卵のようなものが捧げられている。
「ルクス。これがハイレディンの言ってた例の奴か?」
「ええそうよシルバー。これがフェニックスの卵。あらゆる病を治し、あらゆる呪いを解くという生命力の源。エジプトの歴代の王はこの卵によって来世でも新たな命を与えられると信じているのよ。
バルバロッサには感謝しなくちゃね。これが終わったらアルジェに行ってお礼を言うことにするわ」
「情報料は払ったんだからその必要はないと俺は思うがな。ん?何か書いてあるな」
「ここにはこう書いてあるわ。
『最高神アメン=ラーの御名により何人であれこの宝玉に手をかけしものには終わりなき苦しみと死が待ち受ける』
まったくいかにもありがちな文句ね。こんなんで防犯意識が高まると本気で思ってるのかしら?世の中そんなに甘くないわよ」
「それが泥棒の言う台詞か?」
「ど・ろ・ぼ・う? ちっちっち、トレージャーハンターと呼んでよね」
ルクスは皮袋を取り出し足元の砂を入れる。
「これは古典的なトラップよ。南米の遺跡で似たようなものを見たことがあるわ。この卵の台は卵が上に乗っていると何も起きないけど、卵が外れると罠が作動するって仕組みよ」
「じゃあどうするんだ?」
「こうするのよ!」
ルクスは砂を詰めた皮袋とフェニックスの卵を素早く入れ替えた。
「・・・何も起きない?」
「ほっほっほ。大成功!んじゃ、さっさと帰るわよ」
ルクスは卵をバックの中に入れる。
すると足元の地面が揺れだした。
この建物の中で何かが動いている。
まるで工場で巨大なエンジンや機械が駆動しているかのように。
「…なんかやばいぜ」
「…また失敗しちゃったかしら」
「また?」
どこからともなく、おそらくは床の割れ目から這い上がってきたのか。
何か黒い縄のようなものがうずめく。
それは……蛇の大群だった。
「へ、蛇ぃぃぃいいいい!!いやあああ!!!」
ルクスは血も凍るような悲鳴を上げた。
どれほど強大な敵であろうとその手に銃を握り締めて一歩も引かない、全身が肝でできているような女傑がこのような悲鳴を上げたのを聞いたものは今まで一人とていないであろう。
「落ち着けルクス!」
「あたしは蛇だけは嫌なのよぉおおおお!!!」
「お前にも怖いものがあったんだな」
かっかっか、と笑うシルバー。
意外な弱点を発見。
しかし普通の人間がこの光景を見て平気なはずもなく、シルバーも実際のところ恐怖を感じていた。
「いや!いやぁ!こっちに来ないでぇっ!」
ルクスはホルスターからリボルバーを取り出し、黒い波に向けて発射した。
銃声が反響する。
この世界の技術水準を大きく上回ったオーパーツ。
部品の一つ一つを正確に製図に起こすことができる超ガンマニアのルクスだからこそ鍛冶職人たちに作らせることが可能となったシングル・アクション・アーミー・リボルバー拳銃。
だがそれもむなしい。
おそらくこの蛇の数は数千匹に達するだろう。
そこへたった数発の銃声が何の役に立つであろうか。
あっという間に弾切れを起こす。
「ガッデム!こ、これなら!!」
「ば、バカ!こんなところでハッパを使うな!!」
ルクスはダイナマイトに火をつけて虫の群れの中心に投げ込んだ。
―――激しい轟音がピラミッドに響く。
「な、なんだこの爆発音は!!」
ヴォルフたちは天井から聞こえた謎の爆音に衝撃を受けた。
「すっごい爆発音だ。あれじゃ死者も目を覚ましただろうぜ」
「どうやら先客は宝玉を手にしたようだな」
「宝玉?」
「お前が欲しがっているフェニックスの卵のことだ。祭壇に捧げられている。手を取ると魔術を施された蛇が地面から這い出て侵入者を食い殺す。生きたまま体の内部を食われる・・・死ぬまでな」
ヴォルフはその話にぞっとする。
しかし、今の話ではっきりしたことがある。
「……というか、祭壇はこの部屋の上じゃねぇか!!下を探しても道があるわけがない!!」
「我ガ眠リヲ妨ゲル者ハ誰ダ…」
「誰だ!!こんなときに変な声を出したのは!」
ベレンナとムラサキはふるふると首を振った。
彼らではないらしい。
「我ガ眠リヲ妨ゲル者ハ誰ダ…」
「石棺の中からです!!」
ムラサキが怯えた声で叫んだ。
石棺のフタが独り手に動いた。
「ホオオオオオオオッッッ―――!!!」
石棺の中からミイラが蘇った。
今にも崩れそうな干からびた体で棺の中からゆっくりと立ち上がる。
「おお!イスカンダル様!わたしです!クレオです!あなたの傍にいたいがために自らに呪法をかけスフィンクスになった娘です!!」
「イスカンダル!?このミイラの化け物が!?」
そこには征服王の面影はなかった。
骨と腐った皮だけとなり、数百年ぶりの空気に触れて死臭を放つ。
怪しく光るの目。
すさまじい妖気。
寒気すらする空気。
「ケタケタケタ…!!」
なんとそれまでただの屍だったはずの白骨が人の形を作り、歯を鳴らして笑い始めた。
数分前まで手で片付けていたカルシウムの塊に命が宿った。
だが、声帯がないため声は出ない。
「なんと面妖な!!」
その一人が錆びた剣を振り上げてってムラサキに襲い掛かる。
「胴ぉおおっ!!」
ばきぃっ!と派手に折れる音を立ててムラサキの胴払いが決まる。
「面!面!小手ぇ!」
あっという間に4体のスケルトン剣士を土へと戻す。
トンファー二刀流による乱打。
斬ることはできないが連打の数で圧倒する。
「ムラサキくん!こ、こっちも頼む!!」
ベレンナが助けを呼んだ。
ベレンナの曲刀はこの熱帯では一般的な剣であるが、あくまで斬るための武器だ。
肉のないスケルトン剣士には効果がない。
骨を砕くにはあまりに華奢な刀身はあっという間に折れ曲がってしまった。
仕方なしにスケルトン剣士の大腿骨を棍棒代わりに使って殴りかかる。
「こっちも手が離せません!!もう少し持ちこたえてください!面ぇん!!」
「もう少しって言ったって!!」
左右から囲まれる。
一体一体は動きも鈍く、大した脅威ではないが、倒しても倒しても次から次へと沸いてくる。
砕いたはずのスケルトン剣士がしばらくするとまた復活する。
「「我ガ眠リヲ妨ゲル者ハ死ネ!!!ホオオオオオオオッッッ―――!!!」
「おやめください!わたしがわからないのですか!!」
「やめろ!クレオ!あいつはイスカンダルじゃない!ただの狂った化け物だ!!周りを見てみろ!!俺たちを食い殺すつもりだ!!」
「放せ!!イスカンダル様!イスカンダル様ぁ!!」
クレオはヴォルフを突き放し、征服王の目の前でかがみ臣下の礼を取る。
征服王はクレオに手を伸ばした。
「クレオに触るな!!」
だが、ヴォルフがそれを蹴飛ばす。
「この無礼者め!我が主に何をする!!イスカンダル様に剣を向けるならばわたしが相手に…!」
「クレオ!!」
ミイラの手がクレオの胸を後ろから貫いた。
「ああ!!イスカンダル様……!!な、なぜこんな!!!ぐふっ!」
クレオは血を吐き、力尽きる。
ミイラは自分の頭部より大きく顎を開き、あっという間にクレオを飲み込んだ。
どこへ通じているかわからないミイラの口の中へと消える。
「…クレオを、食ってる!?」
ヴォルフは本能的に悟った。
目の前の亡者はクレオを食っている。
文字通り、餌として自分の血肉に変えているのだ。
ビリビリとした空気を感じる。
我ながらとんでもないところに来てしまった。
「ヴォルフ!親玉を倒してください!!こっちはわたしたちがなんとか持ちこたえます!!」
「『わたしたち』の中にわたしも入っているのか!?」
「当然ですベレンナさんッ!!しゃべってないでさっさと手を動かしてください!!」
「わかった!そっちは任せたぞ!」
剣を構えるヴォルフ。
「おおおおっっ!!」
槍のように鋭く襲い掛かる手刀を叩き切る。
さきほどクレオを貫いた攻撃だ。
あのミイラは他の骸骨たちとは違う。
見た目はただの乾燥死体だが、枯れ木のようなその腕は超人的な力を持っており、四股がそのまま凶器となっている。
幻想種。
存在自体がこの世のものではない存在。
人などその存在に比べれば無力なものである。
だが、ヴォルフの目標はその幻想種より強くなること。
そう。あのミノタウルスのアキレスよりも強く…!
「俺のルーンよ!魔力を束ねて光となれ!ハァァァァっ!」
船上で何度も練習したとおり、鋼の剣にルーンの息吹を吹き込む。
イメージするのは伝説の魔剣バルムンク。
ヴォルフが地面を蹴り疾走する。
狙うは一撃の刃。
ヴォルフのバルムンクは一撃しか使えない。
渾身の一撃の後、剣が砕け散ってしまうからだ。
ゆえにこの攻撃が止めと成らねばならない。
征服王の拳を紙一重でかわし懐へ飛び込む。
「喰らえグラムの剣をっ!!」
ヴォルフがハンマーで叩きつけるように弧を描いて斬りつける。
斬るというより叩き潰すつもりだった。
だが、征服王が砂を吹き出した。
「ぐはっ!」
一瞬のことで何が起きたのかわからない。
猛烈な砂嵐にも似た目潰しを喰らったと思うとヴォルフは腹に強烈な一撃を喰らって宙を舞った。
内臓が破裂するのではと思うほどの衝撃。
ごほっ、と吐血する。
どうやら内臓を痛めたらしい。
骨は折れてはいないようだが、足がガクガクする。
脳震盪を起こしたのか、視界がぐにゃりと曲がる。
ムラサキとベレンナがすぐ傍にいた。
どうやら数に押されてしまったようだ。
「くっ、…囲まれてしまったか」
いつも軽い口調のベレンナもこの状況ではジョークでも出てこない。
「ちっ。死にぞこないのミイラどもが…!おい!ベレンナっ!ムラサキを連れて逃げろ!ここは俺が食い止める!」
「ヴォルフくん!それは無茶だ!!」
「いいかっ!俺が道を開く!その隙に逃げろよ!」
ヴォルフは火薬玉に火をつけて放り投げた。
闇市場で買った手榴弾のようなアイテムである。
威力はせいぜい相手を驚かす程度であり、正しい使い道は馬を脅かして騎兵の足を止めること。
とか売り手の商人が言っていた。
どこん、と爆発音がする。
たしかにこれでは元の世界の手榴弾とは威力は桁外れに低い。
だが隙を作ることはできた。
ヴォルフは剣を抜いて突貫する。
「今だ!はやくしろ!」
「わかった!ムラサキくん!行くぞ!」
「でもヴォルフが!」
「彼の気持ちを考えろ!早く!」
ベレンナが無理やりムラサキを連れ出す。
「てめぇら!そんな姿になってまでまだ生きたいってのか!この亡者どもが!土に返れ!」
もはや自身の意思さえあるかどうかわからないミイラの群れは腐った体を引きずってヴォルフに歩み寄る。
後ろのほうでは征服王がケタケタと笑っている。
無意味な抵抗をする人間をあざけわらっているのだ。
「シャイセ!斬っても斬っても後からウジャウジャと。こう数が多いと…くっ!しまった!足を…!」
上半身だけとなった骸骨の一人がヴォルフの足を抱きかかえる。
そして剣を奪われ、四股を抑えられてしまった。
痛恨のミス。
「くっ…ここまでか…すまない姉さん。俺はあなたを助けられなかった…」
覚悟を決めて目をつぶる。
「―――あきらめが早すぎるぞバカものが!!」
「!!」
「ね、姉さん!!どうしてここにっ!」
「ヴォルフ!最初から死ぬことを選ぶとはなんと情けないッ!!あとで説教だ!!」
「そんな体でっ!」
「バカがっ!わたしの症状は今すぐ死ぬほど悪くないっ!準備もせずにこんな危険なところに来るなど!半人前のくせにっ!聞いてるのか!」
「………すみません」
「……まあ礼は言っておく。わたしのためにこんなところまで来てくれて…」
「……」
「あ、ありがと…」
「え?」
何と言ったのか聞き取れなかった。
「か、勘違いするなよっ!わたしはありがた迷惑してるんだからな!勝手にこんなところまで来おって!おかげでお前たちに追いつくのに苦労したんだからな!」
「あ、ああ。すいません…」
なんだかわからないが怒られて頭を下げるヴォルフ。
「ったく。世話が焼けるな。よし罰としてここを出たらビールを飲ませてもらおうかっ!」
「だから酒は…。わかりました。でも飲みすぎないでくださいね!!姉さんは酒癖が悪すぎる」
「やかましいわっ!ヴォルフ!こいつらは数は多いが動きは鈍い!一気に片付けるぞ」
「はい!!」
ヴォルフとソフィアは互いの背を預けあい、骸骨剣士たちを次々と葬っていった。
「ヴォルフ!!雑魚は任せろ!!お前はあの親玉を狙え!!」
「わかりました!!」
「いくぞっ!!たりゃあああッッ!!!」
ソフィアが360度のなぎ払いを行う。
まるで駒のように回り、時計の針は行く手を真っ二つにした。
征服王までの道が出来る。
ヴォルフは他にも目をくれずに突っ込んだ。
「同じ手は通じないぜっ!!」
ヴォルフは征服王の放った砂を避けた。
「イスカンダルッ!起こしてすまなかったな!今度こそぐっすり寝てくれ!永遠に!!」
剣の柄で相手の顎をかち上げると同時に、背中まで大きく振り上げた大剣が弧を描いて征服王を真っ二つにした。
パリーンッ!とヴォルフの剣が粉々に砕け散る。
征服王の半身は地面にドサッと音を立てて倒れると砂へ戻っていった。
「…さて、これで終わった。…ん?」
征服王の亡骸に灰色の剣が見えた。
しかし柄の細工はなかなかに細かく作られている。
翼を広げた鳥のようにも見えた。
「ほぉ。ホルスの印か」
「ホルス?」
「ホルスとはエジプト神話の隼の神だ。猛禽類は蛇を喰らう。おそらくこれがピラミッドに隠された『黄金の爪(ドラゴン・ターミネーター)』と呼ばれる竜殺しの魔剣なのだろう。ヴォルフ。ルーンをこめてみろ。全力でな」
「え?でもそんなことしたら剣が…」
「いいから」
ヴォルフは船上でやっていたように剣にルーンを込める。
すると鉛色だった剣が黄金の輝きを放ち始めた。
「…砕けてない…この剣は…?」
「その剣はお前やわたしのような魔剣士が魔力を込めることを前提に作られた魔法具だ。これならお前の不器用な魔法でも剣が壊れることもあるまい。もらっておけ」
「いいんでしょうか?聞けば高価な物だって…」
ベレンナをチラリと見る。
彼はこれが目的だったのだ。
「征服王の宝物庫というのはようするに盗品の倉庫だろう?この世界では300年以上前のことらしいからとっくに時効だ。それにお前が捨てればベレンナが転売するだけだ。いいからもらっておけ」
「そうですね。じゃ、もらっておきましょう」
安請け合いするヴォルフにムラサキはじと目で見ながら、
「あまり気が進みません。征服王のミイラの体から出た宝など……呪われそうです」
「嫌なことを言うなよ。お前の国の神話でも似たような話があっただろうに」
「ヤマタノオロチのことですか。あなた外人のくせに変なことを知ってるんですね」
「外人って…ここじゃお前も外人だろうに」
ヴォルフはもう一つの輝きを見つけた。
今度は先ほど崩れた天井の瓦礫の中からだった。
「これ…もしかして」
「ああ。それがフェニックスの卵だろう。手を触れてわかる。この卵には生命力が溢れている。まさに「命」を凝縮したものだ。だがなんでこれがここに?」
「わからないですよ。だけどこれがあればマンドラゴラと交換できます。それがあれば姉さんの体も…」
「ああ。ありがたいことだ。神の恵みだな。さて帰るか。ヒューバが待ってるぞ」
「ええ…」
ヴォルフが目を細める。
「どうした?」
「姉さんッッ!」
ヴォルフがソフィアを押し倒す。
「こ、この俗物がっ!なななな何をとち狂ったことを……!何もこんなところで!ムラサキがっ!子供が見てる前でっ!」
「何かいる!」
ヴォルフはソフィアを抱きしめて横へと転がる。
ボォンという爆音。
一瞬前まで2人がいたところが何かに押しつぶされる。
「な、何事だ!?」
だが、ムラサキとベレンナには何も見えない。
「うおおお!」
ヴォルフが剣を振るう。
ミス。
剣は空気を斬った。
だが、跳ねるようにしてあさっての方向へなぎ払う。
からん、と何か金属音。
「ヴォルフくん!何と戦ってるんだ!?」
「見ろっ!」
言われた通りの方向を見る。
するとそこには2mを越える大男がいた。
筋肉の塊のような体躯にライオンの革をかぶっている。
「グルル……」
「なんなんだこいつは!!」
先ほどは姿が見えなかった。
このような大男が同じ部屋にいたなど気づかなかったはずがない。
目に見えていれば…
「やる気か!!」
明らかに殺気をこちらへ叩きつけてくる狩人。
「ヌウウウウウウンッ!!!」
狩人は棍棒を振り回し、掘削機械のように石作りの床や壁を削っていく。
「ヴォルフっ!!わたしがこいつの足を止める!!その隙に頭を叩き潰せ!!」
「はいっ!!」
ソフィアはバルムンクを構えて狩人に突っ込む。
地面スレスレを這うようにして。
狩人から見れば叩き潰したくなる姿勢だ。
そして予想通り、棍棒が上から下へ振り落とされる。
振り下ろすことがわかっていれば、かわす事はたやすい!!
棍棒が地面に叩きつけられた瞬間、同時にヴォルフが飛び掛る。
大きく上段に構えて兜割りを放つ。
狩人は棍棒を振り上げようとするが間に合わない。
勝負あった。
ヴォルフの強撃が狩人の脳天を砕く。
だが―――
カキン、と鉄板を叩いたような音を立ててグラムがはじかれる。
「け。剣が効かない!!ぐっ!」
狩人はヴォルフの首を片手で締め上げる。
人間の頭をグシャリと潰せる握力の持ち主であることは容易に悟った。
狩人が一瞬力を込めるだけでヴォルフは死ぬ。
「放せッ!!」
ソフィアが狩人の腕を切断する。
狩人はヴォルフを蹴飛ばし、地面にボトリと落ちた腕をもう片方の手で拾い上げる。
切断面をくっつけると蒸気が立ち上がり、傷が再生していく。
「こ、これは…!!アキレスと同じ!?」
「…それに剣を受け付けないライオンの毛皮…あれはまさかネメアのライオンか!!」
ネメアのライオン。
かつてギリシャのペロポネソス半島北東部にあるの谷の頂き近くにある森には凶悪な人食いライオンが住み着いていたという。
かのライオンの母はエキドナ、父はその子オルトロス。
神々の子であり、人の武器では傷をつけることすらできない。
誰も手がつけられない魔物に人々は長く悩まされ続けてきたが、ある日、オリンポスの英雄がこれを退治した。
英雄はライオンを絞め殺し、その鋼の刃をもはじくライオンの皮を身に纏うようになったという。
「ということは、こいつは―――」
その英雄の名はヘラクレス。
12の偉業を達し、人間でありながら神に昇格したギリシャ神話最大の英雄。
「そんなバカな。ヘラクレスは数十年前に死んだはずだ!!ケイリンがそう言ってたぞ!」
「あの傷の再生…強力な魔力を持った幻想種は自己再生をする…」
「オオオオオオ―――ッ!!」
狩人は崩れた床に飲み込まれていった。
「……なんだったんだあいつは?」
「」
「か、海賊だ!!」
「我が妻のリューシアナッサだ」
「妻?」
「海王様。わたしはまだ婚姻届にハンコを押したわけではありませんよ。それにあなたにはメデューサ様という奥方がいるではありませんか?」
「何を言っている。あやつは2ヶ月も前に出て行ったキリ音沙汰なしではないか。顔は良くとも性根の腐った女よ」
「何が原因なんだ?」
「この海王が海の覇者にふさわしい暮らしをしているのが気に入らんと言ってな。散々わめき散らした末に家出した」
「解説しますとこのアトランティスの財政は破綻寸前でして、会計帳簿を見ると銀行の借入金がすさまじく、その利息を払うだけでせいいっぱい。元本は増える一方でして…」
「王たるものが商人のごとく金勘定にいそしむのは下劣というもの。それがあの女にはわからんのだ。なんという愚かな女よ」
愚かなのはお前だ、とそこにいる誰もが
「しかしこのリューシアナッサのおかげですべてが解決した。うるさい部下の不平不満もなくなり、すべてが良い方向へ変わったのだ。もはやこのアトランティスにリューシアナッサはなくてはならない人材となった」
破綻寸前の国家財政をどのようにして立て直したのか。
もしもこれが魔法の類によらないものであれば、世界各国の財務省が欲しがる知識と手腕であろう。
「株式を高く売って安く仕入れただけですよ。商売の基本に従っただけです」
「……空売りじゃねぇか」
空売り。
それは証券会社から株を借りて、市場で高く売り、値下がりしてから買い戻して、借りた株を返す。
そのときの株の売買で利益を得ることを空売りという。
事前に株価が下がることを知っていれば空前の利益を上げられる錬金術である。
しかしこれは儲けた人間がいる一方で、その分損した人間が出るというだけのマネーゲーム。
実際には何も生み出さず、ただ合法的に金をむしりとるだけに過ぎない。
「バグダッドは世界の商人が集まる一方、汚い商売で富を貯えるものが少なくないと聞きます。しかし今回の」
「ふん。小僧よ。キサマはこの海王にむざむざ頭を下げろというのか?」
「はっはっは。ヴォルフ・シュナイダーと言ったな。キサマ、リューシアナッサとソフィア。どちらを嫁にするのか?」
「―――はい?」
「ここに至って」
「城塞都市イスラエルは魔術師であるソライマーン王によって作られた魔人ゴーレムが守っている。よほどのVIPでなければ街へ入ることはできない」
「なんでそんなことを?」
「よっぱらっちゃった〜♪」
「姉さん!なんて姿だ!」
「おお〜 我がいとしの旦那様〜 迎えに来てくれたんだ〜 うふふ〜」
「ほら立って。うおっ!酒臭ぇ!!相当飲んだな!!」
「あはは〜 ヴォルフ〜 好き〜 大好き〜 愛してる〜♪」
「はいはい」
たとえ愛の告白と言えど、酔っ払いの戯言をまともに受けるほどヴォルフはバカではなかった。
「こらー。お前、わたしの言ってることがわかってないなー!」
じたばた、と腰を地面に下ろした状態で駄々っ子。
もう見ていられない。
「ふーんだ。ヴォルフが優しくしてくれないからソフィアはここで寝ちゃうもんねー」